春分の日に思う
春分の日に思うこと
今年の春分は、一粒万倍日も重なり、願いが叶うパワーが強い日だったんですね。
毎日、一日の終わりは
・今日、嬉しかったこと
・誰かと叶えたい事
・自分のために,叶えたい事
・遠い未来のビジョン
・目標のカタチ
などなど、思いめぐらせてから寝ます。
いつからこうしてきたかというと、かれこれ20年近く前の体調が悪かった頃から。
明日なんて遠く、今,この瞬間がしんどくて…
家族にも迷惑と心配をかけることしか出来なかった頃。
それでも生きてる自分は、何か出来ることがあるはず…そう思い、ある日を境に【10年後は,絶対に元気に人と楽しく関わる生き方をする】と,決めた。
その10年後の時が来た時、
その思いをすっかり忘れていました。
私は元気になり、仕事や趣味からのご縁が繋がり、沢山のお友達も増えていました。
もちろん突然そうなったら訳ではないけれど、少しずつ着実に日々できること探しをして積み上げた日々。
その頃からさらに年月が経った今、私の眺めている景色は,さらに違うポジションにいます。
とてもフラットな気持ちで過ごせています。
もちろん小さなグチはあります(笑)
でも、それは、何日も眠れないとか胃に穴が開くほどものでもなく,小さな気づきを与えてくれるトゲのようなもの。
今の仕事は、自分が大変だった頃からの元気になるために費やした時間と学びがとても役立つことを実感。
これまでの健康や身体に起こる事の仕組み、栄養、身体の巡りや整え方…そんな学びのキーワードとつながる。
今はまた、新たな視点で身体のことを感じ学び中。
身体を作る細胞に,日々感謝したくなる。
沢山の細胞が働いてくれて,生きている。
春の芽吹きのように,生まれ
秋の枯葉のように、朽ちて
自然生まれ変わる細胞たちを愛おしくも思う。
そんなミクロの事を感じると、
明日や未来の夢や希望は、想像を超えるものでも良いんだ,と思えるようになる。
想像を超える…
想像だけでも、脳が記憶や体験から思考を巡らせ頑張ってるはずだけど、そのさらに先??
どれだけ自由なんだろか?!
と、そんな事を思うと、ワクワクしかない。
人に話すと,馬鹿げてるとか、無理無理!とか言われる事がある。
それって、その人にとっては,想像の範囲内で無理と判断しているだけ。
私とは別の他人が言う『無理』『あり得ない』の言葉はその人の人生はそうなんだね、と思うだけ。
私の人生は…
私が生きる。
私が歩む。
私が創る。
私の未来は、周りの人との共存共栄が理想。
何を以っての事か…
それは、相手次第で変わる。
生活以外に、仕事も趣味も、全てさまざまな関わりとバランスの中で生きている。
今、在る。
そのことが,全てが奇跡。
隣にいる人
そばで寝る愛犬
身の回りの物
人生で関わってくださる人たち
環境も自然も…
全てが瞬間ごとに完璧で、絶妙なバランス。
ありがたい。
ただただ、そう思う。
『今』を生きる。
こんにちは。
また、お久しぶりになりましたね。
blogを書こう!
そう思う瞬間に繋いでいこうと思います。
私の時の流れは、時空がいくつか並行に進んでいる。
それぞれを100%で生きようとすると苦しくなるよね。
と、身近な人たちによく話す。
100%を割るから、足りないとか悩む。
テーマ一つ一つに向き合い、自分がどれだけのエネルギーを注ぎたいか?
それだけを考えるだけで良いんじゃない?ってコト。
制限を求めるから、苦しくなる。
ならば、制限を外す。
それだけで、不思議と気持ちがふっと楽になるよ。
私の時の流れは…
『今』を生きる。
今できる事を楽しみながら向き合う。
とても大切なことだと思うんです。
過去の記憶
未来の期待や不安
どちらも、脳内の出来事。
今、ここにある現実を感じる生き方が好き。
共にいる人ととの時間
繋がりある人との掛け合い
今だから、今しかない、かけがえのないものを大切に。
このブログも再開しよう!
『ぼんやり生きててはもったいないよ。』
これ、先日心に響いた言葉で今も胸にこだましている。
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と、その前に…
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本題の前に、少し言い訳させて下さい🙏
先週、義母が永眠しました。(満94歳)
90代になり、少しずつ色んなことが難しくなり…
実家と自宅が離れてて、昼間の移動で電車で片道2時間。早朝や夜は接続の関係でもっとかかります。行き来しつつ、後半の2年前には施設のお世話に。それでも、救急で呼び出しもありました。
そんな中、昨年1月、地元の実父が体調を崩して2ヶ月で旅立ちました。(満85歳)
なので、前年の11月〜は、ダブルの介護。
在宅介護ではないにしても、日々双方の関連で連絡があり、落ち着かない日々。
そして、2人ともそれぞれに老衰による心停止。
コロナ禍で家族のお見舞いが叶わないなどの障壁はありました。でも、コロナは陰性で本人も静かに旅立ち大往生でした✨
そんな中で社会との関わり方も取り入れる物、手放すものを見直し、関わってきた仕事もリリースしたり、別な形でスタートしたり、変化を遂げた5年でした。
今、おかげさまで実家の母が元気にしてくれています。
ありがたい事です。
…と言うことで、長年放置してきました。
これからはこちらのブログも少しずつ動かしてみようと思います💖
よろしくお願いします。
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で、本題…
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これまで比較的自分よりも若い方とお話しする中で見た目年齢の話題が出て、実年齢よりも少し下が多く、上に言われる事は少なかった。
いくつに見えてても内心気にしていない自分が居て。
先日、下町の人情おばちゃん的な、ハートが熱く人生経験を積んだシニアの方とお話しをする機会に恵まれ話していく中で、不意に『Rioちゃんは46歳くらい?』と聞かれた。
実年齢よりもかなり下。
『まだまだ若いんだから、人生これからよ!今から楽しんだらいい!』の続きで、決してディスられての話ではなく、雑談の中で自然な流れなのだけれど、
頼りなく見えたのかな?
と、ふと感じた。
(これは心の声の現れ)
思い当たることといえば、
これは私の中の一つの自信の無さが騒ついたのかもしれない。
この気付いた感覚、騒ついた=感情を承認し大事にしたい。
沢山の人を見てきた人から出る言葉は、一つ一つよくよく考えると、深い。
『ぼんやり生きててはもったいないよ』
と笑顔で立ち去る姿、カッコ良かったな〜。
時を刻むかの如く、今をしっかり感じ続けること。
自分の本当の想いを大切にする。
そう言う生き方で居ようと思う。
…また来ますね✨
ありがとうございます🙏